家族と暮らす10年ぶりのジャマイカ

JICA青年海外協力隊として、体育隊員の立場で2年間ジャマイカに滞在していました、古川智一です。
日本で結婚し、子育てを経て、今回は4人家族の一員として、そして「住民」として、10年ぶりにジャマイカへ戻ってきました。
久しぶりのジャマイカでまず驚いたのは、物価の高さでした。以前は200JMDほどだったパティも、今では350JMD前後。ランチボックスも500JMDほどだった記憶が、気づけば1000JMD近くになっています。野菜も高騰し、日々の生活費に頭を抱える毎日です。妻の話では、さらに昔はパティが50JMDだった時代もあったとのこと。思わず驚愕してしまいました。
さて、現在は作業療法士として、マンデビルを中心に学校を訪問しながら活動をスタートしています。とはいえ、最初はとにかく突撃訪問。学校に直接足を運び、先生や校長先生に話を聞いてもらうところからの始まりです。ここで大きな力になっているのが、コミュニケーション力豊かな妻の存在です。彼女のこれまでのつながりをきっかけに、少しずつ人の輪が広がってきました。さらに、SNSを通じて声をかけてもらい、首都キングストンの学校や関係者の方々を訪問する機会にも恵まれています。ジャマイカでは、人とのつながりが物事を動かす大切な鍵なのだと、改めて感じています。
写真:Adonijah Group of Schools での作業療法セッション

10年前との大きな違いのひとつが、車を運転していることです。現地独特の交通ルールや、至るところにある巨大な穴ぼこに戸惑うこともありましたが、徐々に理解できるようになりました。時には自分が交通指示係のような役割を担うこともあります。今ではタクシー運転手さながらに、右手を窓の外に出して合図を送ることも増えました。いかに車へのダメージを少なく移動するかが、日々の密かなミッションです。
また、親として過ごすジャマイカは、以前とはまったく違う感覚があります。小学校初日は、私も一緒に教室に入り、子どもと並んで授業を受けました。日本語圏から英語圏へ、それも文化や環境が大きく異なるジャマイカへの移住は、子どもにとって大きな出来事でした。順応するまでには、さまざまな環境要因が絡み合っていたように思います。それでも今では、英語が少しずつ口から出るようになり、「学校が楽しい」と話してくれるようになりました。幼稚園に通う子どもも、「○○くんと結婚する」と言っているほどです。学校や友人との時間が心地よいものになっているようで、親として何よりうれしく感じています。
写真:幼稚園にお迎えに行くと寝ている長女

そんな中、今年ジャマイカを襲ったハリケーン・メリッサでは、特にジャマイカ西部で大きな被害が出ました。つらい思いをされた方も多く、ジャマイカで長く暮らしてきた妻でさえ、これほどの規模は初めてだと衝撃を受けていました。マンデビルでも、電気のない生活を数週間経験しました。不便さを感じる一方で、より深刻な被害を受け、厳しい状況の中で生活を続けている方々が多くいることを、日々実感させられました。そうした現実を前にしながら、ろうそくの灯りの中で過ごす時間には、不自由さの中で、電気に囲まれた日常では見えなかったものを、静かに味わう時間にもなっていました。
写真:ろうそくの灯りで宿題をする長男

10年という時間を経て、同じジャマイカでも、まったく違う風景が見えています。景色は相変わらず息をのむほど美しく、海、山、夕日と、何度見ても心がほどけるようです。そして最近気づいたのは、私に向けられる言葉の文末に「sir」がつくことが、ずいぶん増えたということ。10年前にはなかった呼ばれ方に、自分の年齢や立場の変化を、ふと実感する瞬間でもあります。

